こんにちは。七転び八起きです。前回の記事の続きです。
頭でっかちで頭と心と身体がバラバラになった自分。アトピーなどを通して、自分のことを考えたり見るようになって、分かってきたこと、いま思うことをまとめました。
僕が僕である理由
当たり前のことに気がついたとき
自分を見つめて分かってきたこと。僕が僕である理由。
それは他の人は誰も僕になれないから。僕は僕にしか出来ない経験をして、夢を描いて、いろんなものを創り出すため。
当たり前のことなんだけどこんな簡単な答えが見えてなかったんだなぁ。ずっと。
僕は僕として一生懸命生きていけばそれでいいし、それだけでいい。
だから生きていることですでに生きている目的の殆どは達成されているのかも。そう考えると僕以外の人も生きていることだけで、それぞれの経験をして、そこに人それぞれでいる理由があるってことになるのか。
周りからどう見られてもいいはず
僕が僕である理由が、僕にしか出来ない経験をするためなら、好きに生きないともったいない。人の目を気にしすぎてたら、人の思いで生きることになってしまう。
それはその人がやればいいことだし、その人が経験すれば良い。
僕と周りの人は違うんだから、自分の好きなように、自分の好きな自分で居れば良いと思う。周りからどう見られてもいい。それが僕である理由なんだから。
他の人から変だとか、間違ってると言われても自分がなりたい方向に進んでいるならOKなんだ。もっと自分に誇りを持っていい。生きていることに誇りを持っていい。
いまを精一杯生きればいい。命は好きなことに注ぐためにあるのだから。
なんかそんな気がするんだよね。
僕が僕である理由という言葉が心に引っかかったのは、きっと、今の僕にとってこの言葉が大切だったんだろう。
僕が僕である理由、それは「僕が好きなことをするため」。
そういうことなのかなぁと今は思う。