こんにちは。七転び八起きです。
この記事はこの前の記事の続きです。
では早速、今日も行ってみましょう。今回も僕の過去の話になりそうです(笑)。
一冊の本の出会いから
再びなぜ生きているのかを考えるようになった
飯田史彦さんの本『生きがいの創造』を読んでから、なぜ生きているのか?を再び考えるようになった自分。誰かに尋ねることも出来ず、本を読む。あの当時はまだまだスピリチュアルな本が少なく、読むものは限られていた。
ただ、僕の場合はそのことを考える事で、ぬかるみにはまったような状態になっていた気がします。理想と現実のギャップに苦しんでいた(ふりをしていた(笑))
あの頃は自分にではなく、外側に答えを求めていたんですね。外に何かを探し求めていた。自分を見たくなかったのもあるのかなぁと今は思う。
自分が引き寄せた課題にぶつかり逃げていたとき
僕にとって真実、真理を知ると言うことは、頭のフィルターを外すこと。心の前に頭があって、その頭がフィルターを作っている。良い意味でも悪い意味でもこのフィルターがどんなものかでインプットされることも、アウトプットすることも変わると思うんです。
僕は自分を守るためにフィルターを強固なものにしていました。自分を見せないように仮面を被ってたんですね。自信が無かった。
だけど、真理を知ると自分(身体と頭と心)と向き合わなくてはいけなくなる。そしてそれは心(魂)が望んでることなんです。
これも今だからそう思うこと。
心が望んでることだから、今まで生きるために付けてきたフィルターを少しでも外して、自分を見て行ったほうがいいのに、怖くてできない。
20代半ばから後半にかけては頭でっかちだったと思います。
自分を見るという課題。それにぶつかっている。なのに少し見ては逃げ、また少し見ては逃げ(笑)。慎重といえば聞こえは良いけど、臆病なんですね。
頭でっかちになればなるほど心と体は苦しくなる
頭と心が離れることで起きたこと
ここで言う僕の「頭でっかち」というのは、なぜ生きているのか?という疑問から始まって得たことを実生活に役立てられていないという状態。
人は生まれ変わるんだと色々な本から学び、自分の直感もそう感じるようになっているのに、生きていることは素晴らしい、生命は素晴らしいと思えてきている。
なのに、自分のこととなると・・・僕は素晴らしくない。僕は情けない。弱い。などなど、どこか頭で認められない。
心は自分も素晴らしいと発信しているのに、頭で作ったフィルターがそれを認めなかった。そうすることで起きてきたのが、僕の場合はアトピーの悪化だったとのではないかと自分では今は感じる。
人の身体ってよくできていて、自分(心)が望んでないことをすると、心が抑えられることに対する注意信号を出すんですね。その注意信号が僕の場合、アトピーなんです。
とても苦しかった。アトピーと向き合うこと。いま思えばそれは自分と向き合うことだったから。
苦しんでる理由は何かを考える
アトピーの悪化は本当に酷かったんです。全身かきむしっていて、アトピーでかさかさ、黒くくすむ肌になる感じだったんですが、痒みは酷いし、自分のそのアトピーの姿(外見)もイヤだし(笑)
鏡を見るのが辛い。まさに負のスパイラルでした。鏡を見ると自分を尚更認められない。
学びの遅い僕はその苦しい状態を通して、学ぶ事になったんですね。もっと自分を見よう。認めていい、自分らしく生きていい。そんな思い。
だけど、それを認めない考えとの葛藤。
それでも病気を通して、少しずつ受け入れる。自分がなぜ苦しんでいるのかが見えてくる。周りの人たちの助けもあって、やっと自分はこれでいいとちょっぴり思えてきたんです。
頑固だからちょっぴり。ほんの少しずつ(笑)
僕が僕である理由(3) へ続く