こんにちは。七転びです。
ふと心に入ってきた言葉シリーズ。今日の言葉はこれ。
「僕が僕である理由」
尾崎豊さんの歌は『僕が僕であるために』でしたね。早くも話しが逸れて不安な展開ですが(笑)、早速、行ってみましょう。
幼少期に持っていた疑問
なぜ、生きているのかを考えていた頃
今日の「僕が僕である理由」の話しをする前に僕の幼い頃の話を少し。僕は幼い頃、そう幼稚園の頃だったか、小学校の低学年だったか「なぜ自分は生きているのか?」ということを考えていました。
- 心臓が動いているから
- 脳が動いているから
そんなことしか思い浮かばない。血が流れてる、呼吸をしているなどどちらかというと肉体的な生命のことは出てくるけど、なんか自分が求めている答えと違う。
- なんで自分は考えられるのか?
- なんで歳をとるのか?
- なんで死ぬのか?
なんで?なんで?と考える。
スポンサーリンク
なぜ生きているかは誰も教えてくれない
学校などで教わるのは生きるためのルールや方法
小学校に通っても塾に通っても僕の幼い頃の疑問は解決しない。テレビでもやっていない。アニメを見てもそんなことは言っていない。
いつの間にか僕の中では「なぜ生きているのか?」ということを口にするのはタブーなのではないかと思うようになった。誰も語らない、まるで幼い頃に分かれた父親の話題のようだった。
学校などの場で教わるのは生きるためのルールであり、生きていくための方法。
自分とは、生命とは、動物にも心はあるのかとか、死んだらどうなるのかとか、結局、分からないまま時間は経って、経験を通してこうなのかな?と自分で積み重ねていくものになった。
一冊の本との出会い
そして、そういうことは考えないようになった。誰も語らないし、誰も教えてくれない。僕が聞かなかったからかもしれない。聞いたら答えてくれる人は沢山いたのかも。
宗教などの一部では輪廻転生が教えの中にあるものもあるらしい。でも、宗教というのはなんか好きになれなかった。
20歳頃だったろうか。先日の記事にも書いた飯田史彦さんの書いた『生きがいの創造』を手にした。確か書店で買ったのだと思う。誰かに勧められたとかそういうわけでもなく。
読書があまり好きでなかった僕。きっとタイトルに惹かれたんだろう。
するとそこには生命について、僕が知りたかったことについて色々な方の体験談を踏まえて書いてあって、自分が探していたものの切れ端が見つかった気がした。
あの時の衝撃は忘れられない。
すぐにでも誰かに話したかった。でも、話せる人がいない。誰もなんで生きているか、輪廻転生があるのかないのかなんて話題にしてい無いと言うことは興味が無いのだと思っていたから。
だからこれは本当ではないか!と思いながらも、誰にも話すことが出来ず、自分は変わり者だと感じた。それでも、なぜ生きているのかについて、こういう本が他にも無いのかと探すようになった。